機械金属工業の発展につくした大河内正敏
大河内正敏は東京で生れました。のちに理化学研究所の所長になり、「科学研究の成果を産業に取り入れる」という考えを実現させるため、1927(昭和2)年に理研柏崎工場をつくりました。その後、柏崎は新しく機械工場の町として発展しました。
また、大河内は「農村の工業化」をうったえ、1932(昭和7)年からピストンリングを作り始めると、「農村工場」が注目され、村の共同作業所で多くの女性が働くことができるようになりました。
ここで問題!
Q.
大河内正敏が作った理研柏崎工場では、自動車を製造するうえで、大切な部品をつくっています。それは何でしょう。
◯ 正解!
ピストンリングを作っています。2007年に起きた中越沖地震によって、ピストンリングが製造できなくなると、自動車の生産が止まってしまうほどの影響がありました。
× はずれ...