石油産業さんぎょう発展はってんにつくした内藤ないとう久寛ひさひろ


内藤久寛

内藤ないとう久寛ひさひろは、石地いしじに生まれました。内藤ないとうは小さいころは苦しい生活でしたが、熱心ねっしんに勉強し、いつか国の役に立ちたいと考えていました。
1888(明治めいじ21)年、内藤ないとうが30才のときに仲間なかまと日本石油会社をつくり、当時だれも思いつかなかった出雲崎いずもざき町の海底かいていから石油のさいくつを成こうさせました。その後、宮川、長嶺ながみね鎌田かまたなど、柏崎の各地でたくさん石油がほられました。
1899(明治めいじ32)年には、本社を大久保おおくぼにうつし、柏崎製油所せいゆじょができました。当時、日本で一番大きい製油所せいゆじょでした。その後、柏崎・刈羽は、石油の町として、全国でも有名になりました。


ここで問題!

Q. 内藤ないとう久寛ひさひろは、当時だれも思いつかなかった方法ほうほうで石油をり当てました。どんな方法ほうほうだったでしょうか。
正解せいかい

すでに陸上りくじょうではさいくつする場所がなく、陸上りくじょうの油田は海底かいていにもつながっていると発想して、出雲崎いずもざき町の海底かいていから石油さいくつを成功せいこうさせました。

× はずれ...