昭和しょうわ / 機械きかい金属きんぞく工業


石油が海外からも輸入ゆにゅうされる時代へとうつわります。
内藤ないとう久寛ひさひろが石油採掘さいくつ機械きかい修理しゅうりため設立せつりつした鉄工てっこう機械きかい工場が柏崎における次の産業さんぎょう機械きかい金属きんぞく工業のはじまりともいえる存在そんざいとなります。
そして機械きかい金属きんぞく工業が柏崎の新たな産業さんぎょうとして発展はってんしていきました。

大河内正敏

この柏崎の産業さんぎょうを受けぐのが、理化学工業の柏崎工場です。
理化学研究所所長の大河内おおこうち正敏まさとしは、当時西山油田にしやまゆでん副産物ふくさんぶつとも言える天然てんねんガスに着目ちゃくもくし、吸湿材きゅうしつざいアドソール、塩化えんかマグネシウムなどを生産せいさんします。
のちに日本ではじめての実用ピストンリングの製造せいぞうを行いそのピストンリングが自動車などの生産せいさん増加ぞうかにより脚光きゃっこうび、そして理研ピストンリング専用せんよう工場を設立せつりつしました。

柏崎工場内で働く人たち

「農村の工業化」をうっえていた大河内おおこうち未経験みけいけん女性じょせいにも簡単かんたんあつかえる工作機械きかい発案はつあん、農村に機械きかいを持ちみ、農村工場を始めました。
そのアイデアは見事みごと成功せいこうし海外から輸入ゆにゅうされるピストンリングに十分対抗たいこうできる主要事業しゅようじぎょう発展はってんしました。

のちに理研ピストンリング株式会社かぶしきがいしゃとして数々かずかずの事業も手掛てがけました。 そしていくつかの「理研」関連かんれん会社を設立せつりつ統合とうごう合併がっぺいをし、柏崎の基幹きかん産業さんぎょうとしての発展はってん貢献こうけんしました。 昭和の始め、理研柏崎工場は日本の機械きかい産業さんぎょうささえる上で、かせない存在そんざいとなりました。

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