(4) 柏崎の発展はってんにつくした人たち

機械きかい金属きんぞく工業の発展につくした大河内おおこうち正敏まさとし

大河内正敏
大河内正敏
(1878~1952)

大河内正敏は、東京で生まれました。のちに理化学研究所の所長になり、「科学研究の成果せいか産業さんぎょうに取り入れる」という考えを実現じつげんさせるため、昭和2(1927)年に理研柏崎工場をつくりました。その後、柏崎は機械工場の町として発展しました。
また、大河内は「農村の工業化」をうったえ、昭和7(1932)年からピストンリングをつくり始めると、「農村工場」が注目され、多くの女性じょせいが農村の共同きょうどう作業所ではたらくことができるようになりました。

理研柏崎工場で働く人たち (昭和のはじめころ...今から90年くらい前)
理研柏崎工場で働く人たち
(昭和のはじめころ・・・今から90年くらい前)
平成19(2007)年の中越沖地震ちゅうえつおきじしんでは、理研工場も大きな被害ひがいを受けました。
そのため、全国の自動車生産せいさんが一時的に停止ていししましたが、全国各地かくちから技術者ぎじゅつしゃがかけつけ、再開さいかいのため協力きょうりょくしました。