(1) 米のとれる土地をつくろう

⑨ 川より高い土地へ水を送る

宮川みやかわ四郎兵衛しろべえは、今から300 年くらい前に、納屋なやまち(今の西港にしみなとちょうのあたり)の庄屋しょうやをしていました。
小さいときから測量そくりょう(土地の高さや広さをはかる)のぎじゅつにすぐれていました。
そこで、そのぎじゅつを生かして、鵜川からあれ地である「熊谷原」に用水を引き、新しい田にする計画を立てました。

地図
山すそを流れる用水路
山すそを流れる用水路

宮川新田のような高い台地に田をつくるためには、より高い上流から用水を引かなければなりません。そこで、宮川新田を流れる鵜川の4㎞上流にせきをつくり、そのせきから用水路をほりわることにしました。
まず、測量から始めましたが、急で、でこぼこした山のしゃ面に、水が流れるように用水路の位置を決めることはたいへんな作業でした。夜、ちょうちんをつけて、遠くから高さ低さを見て、用水路をほる位置を決めました。

ちょうちんの灯りで用水路の位置を決める人々
ちょうちんの灯りで用水路の位置を決める人々
今の水準器
今の水準すいじゅん(高さ低さをはかる道具)

こうして決まった位置に用水路をほり始めました。しかし、山が急な上に、そのころは、道具も「ぐわ」「すき」「もっこ」などしかなく、時間もかかり、本当にむずかしい工事となりました。どうしてもほりわることができずに、トンネルをほった所もありました。また、せっかくほった用水路が、がけくずれのためにこわれてしまうこともありました。
用水路をほる仕事とともに、田をつくるために、木を切ったり、土をならしたりする仕事もいっしょに行われました。大きな木を切り根をほり起こす仕事も、土を運んだりならしたりする仕事も、一人ではとてもできないたいへんな作業でした。

木を切り、田をつくる人たち
木を切り、田をつくる人たち

つらく、きびしい工事でしたが、大勢おおぜいの人々の協力と努力のおかげで、工事を始めてから4年後の1703 年にようやく「宮川新田」が開かれました。

昔の道具は、どのように使ったのかしら。

むかしの道具②

大きな木を切るのこぎり
大きな木を切るのこぎり
すき
すき
土ぐわ
土ぐわ