(4) 柏崎の発展につくした人たち
② 機械金属工業の発展につくした大河内正敏
大河内正敏は、東京で生まれました。のちに理化学研究所の所長になり、「科学研究の成果を産業に取り入れる」という考えを実現させるため、昭和2(1927)年に理研柏崎工場をつくりました。その後、柏崎は機械工場の町として発展しました。
また、大河内は「農村の工業化」をうったえ、昭和7(1932)年からピストンリングをつくり始めると、「農村工場」が注目され、多くの女性が農村の共同作業所で働くことができるようになりました。
平成19(2007)年の中越沖地震では、理研工場も大きな被害を受けました。
そのため、全国の自動車生産が一時的に停止しましたが、全国各地から技術者がかけつけ、再開のため協力しました。
そのため、全国の自動車生産が一時的に停止しましたが、全国各地から技術者がかけつけ、再開のため協力しました。