(2) 米のとれる土地をつくろう

⑩ 四郎兵衛親子の開こん

四郎兵衛は、宮川新田のほかにも柏崎に新しい田をつくりました。それどころか、柏崎だけでなく、新潟県内に開いた新田は、52の村におよびました。
四郎兵衛の長男ちょうなん将矩まさのりは、遠く今の福井ふくい県の殿様とのさまのたのみで、田の水はけをよくしたり、新田を開いたりする仕事をしました。
次男じなん儀右衛門ぎえもんは、新発田しばたの殿様のたのみで、紫雲しうんがたのうめたてをして、48もの村をつくりました。
四郎兵衛は、親子で協力して多くの土地を開こんし、米のとれる土地にしました。また、多くの人たちが四郎兵衛親子に協力しました。そして、みんなで新田を開き、ゆたかな土地をつくっていったのです。

福井県や新発田市の紫雲寺はどこにあるのかな。地図帳で調べてみようよ。
米のとれる土地をつくるために、たくさんの工夫くふうや努力がされてきたことが分かりましたね。

宮川四郎兵衛の工夫や努力について、感じたことをまとめましょう。

昔のできごとや当時の人々について知る手がかりは、みんなのまわりにたくさんあるよ。
石ひ
石碑せきひ
むかしの地図や絵
むかしの地図や絵

このほかにも

  • 柏崎市役所
  • 柏崎市立図書館(ソフィアセンター)
  • 柏崎市立博物館はくぶつかん
  • 地域ちいきのお年寄としより など

☆話を聞いてみよう。