(2) 米のとれる土地をつくろう
③ 米のとれる土地をつくろう
昔の人は、どんなくらしぶりだったのかな。
どうして藤井ぜきをつくったのかな。
昔から柏崎の平野は、土地が低いために水はけが悪かったり、反対に、水がなかったりしたので、田にすることができず、人々はまずしいくらしをしていました。また、鯖石川は大雨のたびに川の水があふれ出し、人々を苦しめていました。そのため、戦国武将である直江兼続や石田三成も「柏崎の平野を豊かな土地にしたい」と考えていたほどでした。
今から390年ほど前に、青山瀬兵衛というさむらいが刈羽郡奉行として柏崎ではたらくことになりました。
瀬兵衛は、苦しむ人々をすくうことができないかと考えて、土地の様子や鯖石川の流れを調べて回りました。その結果、藤井地区にあるせきを、1000mも上流の平井地区にうつして、そこから用水路をほって水を引き、あれ地を田にする計画を立てました。
瀬兵衛は、さっそく平井地区の人々にせきをつくることをお願いに行きました。しかし、なかなかゆるしてもらえませんでした。せきをつくると、川の水を自由に使えなくなることを心配したからです。しかし、「柏崎のために」と何度もお願いに来る瀬兵衛の熱心さに平井地区の人たちは心を打たれ、せきをつくることをゆるしました。