明治〜大正 / 石油採掘
もともと柏崎周辺は、海岸を掘ると石油がにじみ出る日本では珍しい所でした。
しかし、石油を利用するすべを知らない当時の人達にとって、それはただの珍しい燃える水でしかなかったのです。
ところが外国から、さまざまな石油を使う道具が輸入され始めると灯油の需要は高まり、石油の価値は一変します。
まさに宝の水となった石油。 そこで、石油採掘を産業の中心に育てようと立ち上がった人物がいます。 内藤久寛です。
内藤久寛は、1859年、西山町、石地に生まれ生家は地元の名家でした。
明治維新の真ただ中で育ち、愛国心に燃える久寛は国の将来を支える道に進むことを夢み、県会議員やがて国会議員として政治の道へと歩み出します。
その頃、産業を支えるエネルギーは、石炭から石油へと大きく変わりつつありました。
当時の石油採掘は主に手掘作業でしたがいち早く石油先進国の情報を得た久寛は石油産業こそこれからの国を支える一大産業になると確信。明治21年、30歳のとき日本石油会社を設立しました。
しかし、陸上油田地域はほとんど掘り起こされ入り込む余地さえありませんでした。
「陸上の油脈は必ず海底に通ずる」と確信する久寛は海底油田の採掘を計画。
アメリカの情報を収集し、当時、画期的な海底油田、機械掘に社運をかけました。
そして海底油田の機械採掘に成功。日本で最初に成功した機械採掘となりました。
これをきっかけに、日本石油会社は、日本を代表する石油会社として飛躍的な発展を遂げていきます。
そして、西山地区・長嶺油田を新たに開発。着実に会社を発展させ名実ともに柏崎は石油の街となったのです。
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