(3) 柏崎の発展はってんにつくした人たち

機械きかい金属きんぞく工業こうぎょうの発展につくした大河内おおこうち正敏まさとし

大河内正敏
大河内正敏(1878~1952)

大河内正敏は東京で生まれました。のちに理化学りかがく研究所けんきゅうしょの所長になり、「科学研究の成果せいか産業さんぎょうに取り入れる」という考えを実現じつげんさせるため、1927(昭和2)年に理研りけん柏崎工場をつくりました。その後、柏崎は新しく機械工場の町として発展しました。
また、大河内は「農村のうそん工業化こうぎょうか」をうったえ、1932(昭和7)年からピストンリングを作り始めると、「農村工場」が注目され、村の共同作業所きょうどうさぎょうしょで多くの女性がで働くことができるようになりました。

柏崎工場内で働く人たち(昭和のはじめごろ)
柏崎工場内で働く人たち(昭和のはじめごろ)
2007(平成19)年の中越沖地震では、理研工場も大きな被害ひがいを受けました。
そのため、全国の自動車生産が一時的に停止ていししましたが、全国各地から技術者ぎじゅつしゃがかけつけ、再開さいかいのため協力しました。