(1) 米のとれる土地をつくろう
③ 米のとれる土地をつくろう

昔の人は、どんなくらしをしていたのかな。どうして藤井ぜきをつくったのかな。

それはね、昔の人のちえと工夫、たくさんの努力があったからよ。
何があったのか、いっしょに調べましょう。
何があったのか、いっしょに調べましょう。
昔から柏崎の平野は、土地が低いために水はけが悪かったり、反対に水がなかったりして、田にすることができずに人々はまずしいくらしをしていました。水をめぐる争いも絶たえませんでした。また、鯖石川は大雨のたびに川の水があふれ出し、人々を苦しめていました。そのため、戦国武将である直江兼続や石田三成も「なんとかして柏崎の平野を豊かな土地にしたい」と考えていたほどでした。

今から370 年ほど前に、青山瀬兵衛というさむらいが刈羽郡奉行として柏崎ではたらくことになりました。
瀬兵衛は、苦しむ人々をすくうことができないかと考えて、土地の様子や鯖石川の流れを調べて回りました。そのけっか、藤井地区にあるせきを、1㎞も上流の平井地区にうつして、そこから用水路をほって水を引き、あれ地を田にする計画を立てました。
瀬兵衛は、さっそく平井地区の人々にせきをつくることをおねがいに行きました。ところが、なかなかゆるしてもらえませんでした。せきをつくると、川の水を自由に使えなくなることを心配したからです。しかし、「柏崎のために」と何度もお願いに来る瀬兵衛の熱心さに平井地区の人たちは心をうたれ、せきをつくることをゆるしたのでした。

瀬兵衛さんは、何をしているのかな。